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カンボジア人の心に今も深く残る負の歴史。キリング・フィールド。カンボジア・プノンペン 

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カンボジアの首都・プノンペン。

Ramonのトゥクトゥクに乗り込み、市内を抜け到着した場所。

 

「キリング・フィールド」

 

カンボジアの負の歴史。

ポル・ポト率いるクメール・ルージュが、カンボジア人を大量虐殺した場所。

IMG_2652 | この慰霊塔の中には、下から塔の上部までこの場所で虐殺された約9000人の頭蓋骨が安置されている。

 

大虐殺の犠牲者は、正確には分かっていないが100万人にも及ぶと言われている。

教師や医師などの知識人。少しでも反体制の疑いがある人。女性、子供にいたるまで容赦なくここで処刑された。

 

なぜ、こんなにも残酷なことが起きてしまったのか。

 

1970年。ベトナム戦争の戦火がカンボジア内に飛び火し、アメリカの空爆によって農村部の数十万人が犠牲になり、国内難民が100万人を超えた。

投下された爆弾の量は、第二次大戦でアメリカが日本に落とした爆弾量の3倍。

空爆により農地は荒れ果て、深刻な飢餓にもみまわれていた。

政府と反政府によるカンボジア内戦も始まり、さらにカンボジア国民を苦しめていた。
アメリカの言いなりだった当時の政府に対抗していたのが、ポル・ポト率いるクメール・ルージュ(カンボジア共産党)だった。

カンボジア国民は当時の政府に不信感を示し、それと比例してクメール・ルージュは力を増していった。

 

1975年。カンボジアを苦しめたベトナム戦争が終わった。

アメリカが撤退したことでそれまでの政府は力を失い、勢力を広げていたクメール・ルージュがカンボジアの政権を奪取した。

それがカンボジアをさらなる地獄へと変えていく。

 

クメール・ルージュを率いたポル・ポトは、「原始共産主義」という階級も格差もない社会が理想社会という思想をもっていた。

 

原始共産主義。人間がまだ知能も発達せず、紙幣や学問、科学なんてものは存在しない時代。つまり原始時代を理想社会とする思想だった。

IMG_2655  | 無数にある大きな穴。この一つ一つの穴から8985人の死体が見つかった。この場所が発見されたとき、ものすごい死臭が充満し、死体の腐敗ガスで地面が膨れ上がっていたという。この敷地内にある池の下にはまだ掘り返されていない穴があり、さらに1万人以上の死体が今も埋まっている。

 

ポル・ポトはまず通貨を廃止し、カンボジアに住むすべての人々の財産や身分を略奪。

深刻な食糧危機をどうにかするため、都心部に住む人々とそこに集まって来ていた難民を強制的に農村部へ移住させ強制労働をさせた。

その際、少しでも反体制の疑いがある者は徹底的に処刑された。

 

次にポル・ポトがしたのは、知識人の根絶

原始時代に知識のある人間はいない。また、知識のある者は反逆の恐れがあるためだ。

「医者や教師、技術者を優遇する。」と呼びかけ、名乗り出てきた人々を片っ端から処刑した。

知識人の根絶はさらにエスカレートし、本を読める者。メガネをかけている者。外国語がしゃべれる者。手が柔らかい者(手がやわらかいのは農作業をしていないから)。などという理由で収容所に送られ処刑された。

さらに密告制度を導入し、少しでも反乱の可能性がある者や知識のありそうな者は密告され、問答無用に処刑された。

密告しないと自分が密告されてしまうという強迫観念にかられ、疑心暗鬼になった人々は、友が友を密告し、兄が弟を密告し、子が親を密告し、親が子を密告するといった状態になった。

 

密告され、収容所に連れて来られた人々を待っているのは死のみ。

キリング・フィールドに連れて来られて生き残った人は一人も居ない。

 

処刑方法は、木の棒で頭を叩き割る。刃物で刺す。木の枝の尖った部分でのどを突き刺す。首つりなどだった。

銃を使わないのは、玉の値段が高くお金がかかるから。

そして、最も残酷な処刑が、赤ちゃんや小さな子供に対して行われていたもの。

処刑人の兵士は子供の足を持ち、振りかぶって子供の頭を木に打ち付けて殺した。

それも母親達の目の前で。

 

処刑は夜に行われ、殺される時の叫び声をかき消すため、一晩中スピーカーから爆音で音楽が流れていたという。

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カンボジア人がカンボジア人を虐殺したこの信じがたい出来事は、今からたった40年前に起きた事実。

この大虐殺を指揮したポル・ポトは1998年まで生きていた。

ポル・ポト政権から解放された時、カンボジアの人口の85%が14歳以下だった。

ポル・ポトが統治していた、たった3年8ヶ月の間にそれほどの大人が殺されたということ。

カンボジア人で、親戚の誰かは必ずこの犠牲者になっているという。

この日案内してくれたRamonのおじいさんも犠牲者の一人だと言っていた。

ポル・ポトが死んだ今も、クメール・ルージュはまだ存在するらしく、農村部では今でも恐れて子供に教育をさせない人々もいる。

 

 

人々が収容され、処刑された場所「キリング・フィールド」はカンボジアの各地にあり、

僕が行ったプノンペン近郊にあるチュンエクのキリング・フィールドが最も有名で、唯一立派な慰霊塔が建っている。

 

敷地内に入ると、日本語の音声ガイドを渡され、音声ガイドを聞きながら敷地内を回った。

 

今、自分の立っている場所が、何の罪もない人々がただ処刑を待ちながら収容されていた場所。

今、自分の立っている場所で、罪のない人々が殺された。

今、自分の前にある木で、多くの子供達が、、。

 

雨が降ると今でも遺骨や遺品が出てくるらしく、

足下を注意して歩くと、地面には処刑された人々が着ていた衣類がいくつも出てきていた。

細い骨や、まだ歯の残ったあごの部分の骨も足下に転がっていた。

 

音声ガイドには、当時ここで流されていた音楽や、子供を殺された母親の証言も入っていた。

 

それらを聞きながら敷地内を一周し、敷地を出るころには、怒りや恐怖はとうに通り越し、ただ虚無感だけが残った。

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| 雨期になると、今でも多くの遺骨や遺品が土から出てくる。そうして見つかったものは敷地内に設置されたボックスの中に集められている。乳歯と思われる小さな歯や、子供サイズの短パンなども置かれていた。

 

外に出るとRamonが笑顔で待っていた。

奥の方では、売店のおばさんが「水あるよ〜!飲み物あるよ〜!」と呼び込みしている。

バイクに座って楽しそうにおしゃべりしているおじさん達。

その横の舗装されていない道で、3人の子供達が無邪気に遊んでいた。

 

カンボジア大虐殺から40年。

未だ貧困の差が激しい途上国のカンボジアだが、この「何気ない」風景に、虚無感に包まれた気持ちが少し晴れるのを感じた。

 

今後二度と、この国に住む人達の笑顔が絶えるようなことのないように。

もう二度と、こんなことは起きちゃいけない。

もう二度と起こしちゃいけない。

 

 

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